アメリカでシュタイナー・スクールに通う

シュタイナー教育をご紹介します。

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科学教授法 その2

<簡単な歴史的背景>

多くの教師や親御さんたちや年長の生徒さんたちは、シュタイナー教育は、科学を学習するにあたり現象学的なアプローチを行うことを奨励していると聞いたことがあるかと思います。「現象学」という言葉さえ初めて聞く人が多いかと思いますが、現象学とは一体どんなものかとか、シュタイナー教育において現象学というものがどのように科学の学習で使われているかということになると一般の人たちには益々意味不明なものだと想像できます。

実際には、現象学というのはもともとシュタイナー教育から出たものではなく、17世紀後半から18世紀前半における欧州系哲学にそのルーツを持ちます。シュタイナー教育をご存知の方たちはゲーテ(1749-1832)とシュタイナー(1861-1925)が現象学的なアプローチの唱道者であったことをご存知かと思いますが、このアプローチは、アレクサンダー・ゴットリーブ・バウムガルテン(1714-1762)やヨハネス・ミューラー(1801-1858)やエドムンド・ハッセル(1859-1938)などからも擁護されていました。更に、過去の偉大な科学者たちの著書を紐解いてみますと、科学者たちが観察を通じて「ある一定のパターンや法則」を発見したり、今までに見たことのないことを発見したり、あるいは、ほかの科学者たちが見逃してきたことに気付く過程に関する言及があることに気付くことでしょう。これの例は、レオナルド・ダ・ビンチのノートや、ガリレオ・ガリレイの対話集の中や、ヨハネス・ケプラーのノートに見出すことが出来ます。これらのそれぞれにおいて、彼等は、先達の偉業をそのまま受け入れるのではなく、他の人たちが説明した現象をもう一度見直し何か新たなものを見つけることを通して、ある状況におかれた現象をより深く理解しようとしたことが伺われます。

例えば、ガリレオが生きた時代(17世紀の初頭)、「自然」に落下する物体は、重い物体の方が軽い物体より早く落ちてゆくという考え方が一般的でみんなが当然のようにそれを信じていましたが、この考え方を支える理論を注意深く検証したガリレオは、なにかが違うような気がしたのです。彼は理論がちゃんとかみ合っていないと感じたのです。そこでガリレオは、彼の科学者としての直感だけではなく、実際に実験や論証を通じて「重量」のある物体(羽であろうが塵であろうが)は全て同じ距離を同じ時間で落下し、各物体の落下速度は同じ割合で増加し、更に、落下速度の加速の割合も一定であるという結論に至りました。

この例は、シュタイナー学校の10年生が物理の授業で力学を学ぶとき1つのエピソードとしてしばしば使われます。

経験的なアプローチを奨励する別の良い例として、ダビンチが当時他の学者たちとの間でいかに話が噛み合わなかったかということが書かれた彼のノートが挙げられます。ダビンチが生きた時代(1500年ごろ)、大学における学問的な論議というのは神の偉業の解釈に重きが置かれ、世の中の現象に関するあれこれの疑問に対するものではありませんでした。もちろんそのような傾向はダビンチのように鋭い観察眼をもつ人物には不満でなりませんでした。エドワード・マッカーディー(1938年出版:ニューヨーク州レイナル&ハッチッコック社)翻訳による「レオナルド・ダ・ビンチのノート」の最初の部分にこう書かれています。

もし本当に、いままでの学者達がしてきたようにいろいろなところから引用することが出来ない場合、実際の経験に照らして物事を理解することが遥かに大きくより価値のあることとなる。そのようにして得た知識こそが本当の意味での理解と言える。最近の学者達は、自分たちの知識を尊大でうぬぼれた態度で見せびらかしているが、そんな知識は自らが生み出したものではなく、他の人たちが生み出したものをあたかも自分が発見したかのように言っているだけである。自分の意見を持つことを許されないような雰囲気すらあるが、自らの考えで以って発明家であろうとする私を見下すようなことがあれば、そんなことをする者たちこそ非難されべきだ。なぜならそんな者たちは発明者でないどころか、ただの提灯持ちか他の人がやった仕事の語り手でしかないのだから。

世の中で実際に起こっている現象を意識的に観察することが、中学校における科学の授業のスタート地点だと考えられます。


(まだまだ、続きます)




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