アメリカでシュタイナー・スクールに通う

シュタイナー教育をご紹介します。

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なぜ、学校でオイリュトミーをやるのか。 (((その3)))

続きです。

     


発声器官が言葉と動きに関連があることを提唱したのはシュタイナーです、言葉がどのようにして全身を使った動きに変換(つまりオイリュトミーと呼ばれる「目に見える言葉」となったか)されるかを説明したのです。

このようにして(つまり、言葉と動きを使って)自然力が生きていくことや成長する力を自分たちの体の中に自然な形で流れていくようにしているのです。しかもその流れ方は野性的で不規則ではなく、体の中に根付き本当に自分である人間性に基づいた意識的なものです。

毎日の会話の中で使うように、母音や子音は体の動きに変換されると、それほど生き生きとした質感を持っているようには感じられないかもしれません。人間は、言葉が持つ重みの意味を忘れてしまっていて、本来言葉が持った強弱を無視し、不注意に言語を利用するようになってしまったのです。しかしながら、詩人や物書きは言葉の後ろ側にあるいのちというものをまだしっかり捕らえることが出来る人たちです。

詩人スインバーンズ作の蝶を描写した詩の中の母音と子音の使い方がまさにそのことをよく説明しています。「白い蝶たちよ、飛びたて。海に向かって」。これを、テミーソン作の鷲を描写した詩の中の母音と子音の使い方と比較してみてください。「彼は、折れ曲がった手で突き出た岩をつかむ」。あるいは、ウィリアム・ワトソン作の詩の音とリズムによく耳を傾けてください。「波と風と柳の木が揺れる」。このような詩を使って、命の動きと母音・子音を意識しながら子供たちに体を動かせると、癒しとハーモニーが一体化した創造的な力で子供たちの心と体が目覚めていくのを見ることができるのです。

オイリュトミーあるいは目に見える言葉を通じて、子供たちは2つの逆の要素を持ったもの(個性と肉体)の間のハーモニーやバランスを学ぶことが出来ます。実際、これを可能にするためには、3つ目の要素が必要となります。実は、これこそがオイリュトミーで一番大切なものです。リズムです。リズムには、肺と心臓において身体的な表現が存在します。つまり、肺はリズム正しく呼吸をし、心臓はリズム正しく鼓動をし、また、「吸う・吐く」や「収縮・拡張」といった継続的な変化が発生していますね。このリズムが体の器官を持続させているのです。肉体的な疲労感を味わったり精神的に参ったりすることがあったとしても、肺や心臓が疲れて休んだりすることはありません。心臓や肺の停止は死を意味しますからね。つまり、リズムなくしては生命はありえないのです。

自然界も同じです。リズムは命の証明で、たとえば、一年には夏があり、秋が来て、冬が訪れます。昼の後には夜がやってきます。リズムはどこにでも存在するのです。明暗や開閉や長短や上下と言った違いは、命のあるところにはどこにでも存在するように思われます。しかし、リズムをビート(拍子)や尺度と混同してはいけません。拍子や尺度は、同じことを何度も何度もそのまま繰り返すだけのことだけです。ですから、活気を殺してしまうような効果があるのです。本当にリズムは、常に2つの相反するものの間を行ったり来たりするのです。

全てのものにはそれぞれ独特のリズムがあります。海の息遣い、鳥の飛行、カタツムリの歩行、風にたなびく木の葉。みんな、自分だけの方法で、自分だけのリズムで動きます。内面で感じ取ったものに従って動くだけではなく、歩調を長短で変化させてみたり、動作を開閉(きゅっと閉じて、ぱっと開く)で変化させながら、旋律や詩に合わせて動かせることで、子供たちの中にある別々のリズムを呼び起こすことが出来るのです。こうして、子供たちの中で、リズムの要素が目を覚ますのです。

私たちの中には2つの柱が存在して、その間を行ったり来たりしています。頭の中で考えたりする活発な力と、肢体で実際の行動に移す意志の力です。(考える力と実行する力:やる気というのは実行し始めて始めて湧き出てくる) なにか1つのことが上のほうからやってくると、それと同時に、別のことが下のほうからやってきます。そして、そのちょうど中間、いわゆる心臓部にリズムの要素が息づいています。気持ちというものは、いとも簡単に同情と無情の間を行ったり来たりしますし、冷たくなったり暖かくなったり、あるいは、頑固になったり優しくなったり、笑ってみたり泣いてみたりするものです。このように柔軟性と挑戦的な特性をもった感情は、意思や行動と結びつき、頭で考えた苛酷な要求をより無意識的に動的体現するための助けとなっているのです。

感情と思考と意思を持った人間がこのような方法で動きを通じて行動に移し表現することが理解できます。これは、意識的に行われているわけではなく、特に小さな子供の場合、成長するにつれて意識的なものになってゆきます。



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あと一回でおしまいです。(う~ん、日本語にすると、ワケ分からんようになる…)

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