アメリカでシュタイナー・スクールに通う

シュタイナー教育をご紹介します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

なぜ学校でオイリュトミーをやるのか。 (((その1)))

永らく、サボっていました。ごめんなさい。

今日は、オイリュトミーに関して、いい読み物がありましたので、その訳文を載せちゃいます。

カリ・ファン・オールットという方が書かれました。

     


「オイリュトミーが必要な職業とか雇用形態なんて、ないわ。」

「人生にオイリュトミーがどう必要とされるのか、良くわからないな。どうして学校ではオイリュトミーにそんなに時間とエネルギーを費やすんだろうか。」

こんな質問を良く聞きます。

そうです。確かに、必ずしも人生にオイリュトミーは必要ではありません。子供たちが知っていないといけないからという理由でオイリュトミーを教科のなかで教えているわけではないのです。それは、芸術家や絵描きを養成するために子供たちに美術を教えているわけではないと同じで、別に子供たちに舞踊家になってもらおうとしてオイリュトミーを教えているわけではないのです。

シュタイナー学校で学ぶ教科全ての背景には、ハーモニーの中に子供たちを入れて、子供たちが自分の心と体にバランスよくそのハーモニーを織り込み、1人の人間として最大限の能力が発揮できるようにするための努力が存在するのです。それには、オイリュトミーが大いに役立つのです。オイリュトミーの動きを通じて、子供たちは自分の動作や活動をうまく調整する方法を学ぶのです。

実際、子供たちの生活において、「動き・動作」は大変重要な役割を演じています。ゆりかごの中にいる赤ちゃんをよく観察してみましょう。赤ちゃんの手の動きや足の動きをじっくり観察するだけで、その赤ちゃんがどのような性格を持っているか想像することが出来ますね。赤ちゃんが嬉しければバチをたたくように空中で足や手を打つような動作をしたり、何か気に入らなければ足を突っ張ったりして、動作がその赤ちゃん全存在の表現方法となっているのです。

赤ちゃんは、成長して、歩いたり走ったりするようになります。子供(幼児)の動作は、周りからの刺激に対する印象への反射だと考えられます。幼児は自分の周りになる全てのものに対して巻き込まれます。そして、自分の目で見えるものは、肉体的な動きで再表現されるのです。軽快に動きまわるリスを眺めている子供と、体を丸めてうなっている猫を見つめる子供は随分と違って見えますし、何時間も桟橋のところでじっと水面に浮かぶ小船を静かに眺めている子供とも違って見えるはずです。子供は自分の頭のてっぺんからつま先まで全身で水面で揺れている小船を眺めているのです。この子供の経験全てが自分の体に充満し、動作によって表現されているのです。(小船の揺れとシンクロして自然に体が動く、ということ。自分自らが小船になったかのように。)

私たちが成長して大人になるにつれて、このような動きは少しずつ、少しずつ抑制されてしまいます。そして、世界を、いわゆる知的に頭の中だけで理解・反映するようになってしまうのです。子供の頃に比べると、私たちの体は重くなり、動きも鈍くなります。そして、体も硬くなってゆきます。肉体面に関しては、スポーツをやったり体を動かしたたりして、加齢によるダメージの克服に努力するものの、その努力は頭で考えた知的なもので、想像力や自然の力といったものとはなんら関連がないわけで、子供たちが自然に生み出す動作とはまったく別のものなのです。もし、たとえ大人になっても、自らの肉体を通じた自然な命の流れを維持して、いつまでも元気でいられるものならば、もっと力強く人生を生きていけるでしょうし、頭で理解したものを意思に昇華し体中に充満させ、行動に移すことが出来るでしょうに。これこそが、子供たちにオイリュトミーを学ばせることで私たちが成し遂げようとしていることなのです。

次回に、続きます。 

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。